ももちゃん奮戦記

いつか全て笑い話にしてやるためのブログ

卵巣チョコプラ事件

 

 

もしも同じようなことで独りで悩んでる人がいたら心から一緒にがんばろうって思うし、チョコレート嚢胞治療の道のりを今後手記としてまとめていくことにした。

自分だけじゃないんだと思えることで、不安な気持ちとか少しでもほぐれたり気がまぎれたらいいなと思う。。

私も本当に不安だけど、でもとりあえず生きるしかないから。

共存していくつもりで。

 

 

2024年某月某日

昨年末から卵巣が痛むので祝日診療可能なクリニックに駆け込んだ。

内診はできればしたくないと言ったのにじゃあエコーでいいですと言って案内されたのが内診用の部屋で、世にも奇妙な物語見てるんかと思った。

「え?話聞いてました?」と思いつつ嫌なんですけどとも言えず仕方なしに診察台で股開いた。

痛すぎて手の甲を爪が食い込むくらい掴みながら(その跡今も残ってる爆笑)必死で痛みを堪えた。

結果チョコレート嚢胞という判定。

で、どうしろと?

医師の説明不足と対応の冷たさも相まって不安が一気に押し寄せる。とりあえず受け止めることで精一杯。

その後職場で泣きじゃくる。上司に話す。

 

祝日診療可能なところに急遽駆け込んだので深く追及してなかったが後日そのクリニックの口コミよくよく見たら案の定医師の対応の粗雑さに定評があるようで、納得。

寄り添う姿勢皆無だったから。

女性の体を何だと思ってるのだろう、と思うくらい淡々としていた。二度と行かない。

 

 

後日MRI撮影▶︎その結果が出るまで2週間強も薬も何も出されず生殺し状態を生き抜く。

 

色々考えた。

 

女性に産まれたことを軽く呪った。

女性でいることがつらくなった。

女性器なんてあるばかりに。妊娠出産経験ないばかりにこんな病気になるなんてあんまりだと思った。

邪魔すぎるやろ、要らないと思った。子供欲しい時だけレンタルさせてくれと真面目に思った。

一思いに子ども産んで中身一旦まるごとぶちまければ、少しは楽になるのかと思った。

他の誰かでは無く、自分の体そのものに、早いとことっとと産んでしまえと言われてるようでつらかった。

 

でもそんなふうに思ってるのは自分の脳みそ。

男性に産まれていたらいたで、別の疾患で悩まされていたかもしれない。いや男性女性など関係なく、いつ何がきっかけでどんな病気になるかなんて誰にもわからないのだ。

なんで私ばかりこんな目にと嘆いても、今日健康な人だって明日にはどうなるかわからない。

みな平等なのだ。

病気に限らず、いつどうなるかわからないのは今までだって同じだ。

産まれてから今日までずっと同じ条件のもとで、私含め世界中の人間はこうして生きている。

明日の命の保証などないのだ。

 

おかげでより一層、悔いのないように日々したいことはしておこうと思えるし、今まで以上に自分の心と体を大切にできる。

 

無理やりにでも考えたポジティブ転換リスト

①治療に向かう道のりで出逢えた人が運命のパートナーになるかもしれないじゃない!!次の仕事に繋がるパートナーになるかもしれないじゃない!

②こんなことでもなければ踏み出せなかったことがある。開けなかった扉がある。無駄なことは何一つ起こらない!!

③こんなことでもなければ繋がらなかったご縁がある。支えてくれる人たちに感謝。

④逆にそのほかは至って正常で健康そのもの、産まれてから今日までずっと、心臓も脳みそも休むことなく動き続けてくれている。食道、胃、腸、腎臓、肝臓、膵臓脾臓、日頃何一つ意識していないけれど私を生かすためだけに24時間365日動いてくれている。(ブラック企業どころの騒ぎじゃない)

その奇跡がどれだけすごいことなのかを痛感させられる。

⑤痛みをもって知らせてくれるから気づけることに感謝。痛みすらしない、痛みを感じられなくなることの方がよっぽど怖いと思わないだろうか。

気づかないまま進行して、気づいた時には手遅れになっていた、じゃなくてラッキー!!!!!!じゃん!!!

 

 

病気になればその人は不幸なのか?

そんなはずない。

どんな物事にも光と闇の面がある。

「それ」しかないわけない。

いつか死ぬのは皆同じ。

悲しんでても笑ってても過ぎてく時間は同じだし、

起こる出来事に幸せも不幸も、良いも悪いもない。思考と捉え方のみ。

どう感じるかは私が決められる自由があるということ。

一生病気にならず、平穏無事に何でも上手くいけば幸せなのだろうか。そんなはずはない。色んな気持ちに悩まされるから出口のない暗闇に迷い込むから見つけられるものだってたくさんある。

私が言葉にならない思いを抱える人の気持ちを想像して理解してあげられるのは、私自身が言葉にならない孤独な思いを抱えてるからだし、

どんな人もみんな人知れず悩みを抱えてて普段どれだけ人前で明るく笑顔でいる人でも家に帰って一人になったときは疲れてたり寂しくなったり膝を抱えて泣いたりしてるのかもしれないんだよなぁと想像できてちょっと親近感湧くのは私自身が一人でそういう風にずっと悩み続けてきたからだし

心の悩み、身体の悩みを抱えて人に寄り添えるのは、私自身が些細なことで傷ついてそのたび悩んできたからだし、

まだ自分の気持ちを上手く言葉にできなくて何も言えなくなって泣いてしまうような幼い子供が愛しくて切なくなるのは私自身が気持ちを言葉にして伝えるのが苦手だからだし、

寂しさ、悲しみ、憂い、救われない思いそういう普段はスポットライトの当たらないような日陰の部分、地下水脈のような暗い感情に深く共感してあげられるのは、どれも自分が一つ一つ真剣に向き合って胸を痛めてきたからだ。

その深刻に考えていた時間はもしかしたら無駄だったかもしれないけど、逆にあそこまで堕ちて考え抜かないと気づけないことはあった。

今まで起こった出来事全て、何一つ無駄になんてなっていない。

だからこの経験も同じ悩みを抱えてる人に寄り添うためのただの必修科目にすぎない。笑

自分がこうして苦しんでなければ、誰かの悩みを鼻で笑い飛ばすような人間になっていたかもしれないのだ。

 

どうせ病気になったならその病気のおかげで飯食ってけるくらい考え尽くしたる。

喋りは苦手やけど文字書くことならいくらでもできるから活かしまくったる。

もう誰にどう思われようと他人の目はどうでもいい。

私は思ったこと正直に書くしか昇華する方法がないからただ打ち込む。この想像力の豊かさと感受性の強さを最大限に活かす。

もしかしたらいつかこの手記がベストエッセイになるかもしれんし(笑)

絶対このままタダでは終わらせん。転んでもただでは起き上がったらへん。

病気に悩まされて振り回されてるだけで終わるのはムカつくから、深刻に悩んでる自分すら笑い飛ばして、せっかくならこれを笑いの鉄板ネタにしたるわ。理由:ムカつくから(笑)これほんと私の強みだな。

 

私にできるのは、食べてうんこして寝て、笑ったり泣いたり踊ったり叫んだり今この肉体があるからできることを毎日やり尽くして、1秒でも長くこの世界を楽しむことだけだ。それしかない。

それのみ。